おかゆなれきし

歴史に少しでも興味を持ってもらったり、面白いと思ってもらえるように歴史を話すブログです。

僕が考えた最強の夏の暑さ対策は間違いなくこれ!

f:id:shoooy:20190816155907j:plainめちゃくちゃ涼しい場所いるしょう(@shos_history)です!

 

快適そうな顔してないんだが…

 

その理由はこの記事の最後に分かります。

 

 

 

夏ってめちゃくちゃ暑いですよね?

 

 

 

溶けそうなくらい暑い夏ですが、僕はパンツ一丁で生活することで暑さ対策しています。

 

おまわりさん!こっちです!

 

家の中だけなのでセーフ!

 

パンツ一丁だと外へは出られないので、外でも涼しめるような夏の暑さ対策を今回は考えてみようと思います!

 

f:id:shoooy:20190816164334p:plain

 

江戸時代と現代の夏の暑さ対策!

 

みなさんの夏の暑さ対策ってなんですか?

 

江戸時代の人たちに夏の暑さ対策のアンケートをとったところこのような結果になりました。

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190816155647j:plain(僕の独断と偏見によるアンケート結果です)

 

キツすぎん?

 

当時はクーラーや扇風機なんて高度なアイテムはないので、この結果になるのは仕方ないです。

 

ちなみに江戸時代の地面は今のようにアスファルトではなく土なので、打ち水をすると水がしっかりしみ込んでくれるので、気温がしっかり下がります。

 

でもキツすぎん?

 

昔は今ほど暑くはなかったのでうちわと打ち水でなんとかなってたんですよ。

 

ちなみに現代人に夏の暑さ対策のアンケートをとったら、、、

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190816160152j:plain多分こんな感じです!

(こちらもあくまで僕の独断と偏見によるアンケート結果です)

 

ゴキブリホイホイに引っかかるゴキブリの気持ちがわかる…

 

やはり江戸時代と現代だと夏の暑さへの対策が全然違いますね。

 

僕が考えた最強の夏の暑さ対策は「富士山」!

 

現代の夏の暑さ対策として「クーラー」は確かに最強なんですが、弱点があるんですよ。

 

 

 

それは…

 

 

 

 

 

そこから動けない!

 

 

ぐはっ!!!

 

クーラーはコタツと同じでブラックホールのようなものなので、そこから出られず、動けなくなってしまいます。

 

しかも、

 

 

 

 

 

周りの目が気になる!

 

 

 

 

 

クーラーが効いている場所はコンビニとかデパートとかお店がメインですよね。

 

お店で何も買わないのに涼むなんて、周りの目が気になって気まずいだけです。

 

 

 

し・か・し!

 

 

 

周りの目を気にせず、しかも移動しながら涼しむことができる最強の暑さ対策があるんですよ!

 

しかも健康にもいいおまけ付きです!

 

早く教えてくれ!

 

それは、、、

 

 

 

 

 

富士山に登ることです!

 

 

 

 

 

はぁ?

 

大昔から日本人に親しまれ、日本の象徴ともいうべき存在が富士山。

 

www.sho0310.com

 

聖徳太子も馬で飛び越えたり、幕末には外国人が登りたがりだったり、魅力と歴史が溢れる富士山がなぜ最強の夏の暑さ対策なのか。

 

 

それは、、、

 

 

 

涼しいんです!

 

 

 

 

 

非常に涼しいんです!

 

 

日本でもっとも太陽に近い富士山がなんで涼しいの?

 

大気というのは上空に行けば行くほど空気の量が減り、圧力も低くなるそうです。

 

空気には圧力が低くなると温度が下がる性質があるようで、それで気温が下がって涼しいというわけです。

 

まぁ要するに、上空に行けば行くほど気温が下がるということ!

 

さらに言い換えると、高い場所ほど涼しいということ!

 

 

日本で一番高い場所=富士山。

 

 

 

つまり、、、

 

 

 

もっとも涼しい場所が富士山と言っても過言じゃないということです!

 

 

ちなみに、温度が高くなる原理に太陽の熱が地面を暖めて地面の熱で空気が温まっているのですが、その地面からの熱も富士山のように高いものにはそもそも届かないです。

 

 

だから暑くなることはないのです!

 

 

どうりで山の頂上に雪が積もってる写真が多いわけだ。

 

ってかブログって理科だっけ?

 

そして富士山は山登りとして行くことができるので、

 

・周りの目を気にせず涼しむことができる!

・山登りなので移動しながら涼しめる!

・運動なので健康にいい!

・歴史も知れる!

 

この4点が揃っている最強の夏の暑さ対策なのです!

 

まさに一石四鳥!

 

僕も実際に富士山に登ってきたのですが、めっちゃ涼しかったです!

 

 

 

f:id:shoooy:20190816155907j:plain

ただし、富士山は高すぎて雲やら霧が多くて基本濡れます。

 

あ、これ、びしょ濡れで萎えた顔だったのか!

 

北海道も涼しめる場所ですが、少し遠い。

 

そんな時は富士山が超オススメですよ!

 

涼しみながら歴史を感じながら運動しましょう!

 

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江戸時代にあった「パンツをレンタルできるお店」とは?

こんにちは!夏は基本的に家ではパンツ一丁で生活しているしょう(@shos_history)です。

 

母親からは洗濯物が減ってエコだと言われています。

 

エコとは…

 

もしもパンツが見当たらなかった時、みなさんならどうします?

 

 

パンツパンツ〜♪

 

 

 

f:id:shoooy:20190811013350j:plainん???

 

 

 

 

 

ない!

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190811013413j:plainどこにもパンツがない!

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190811013509j:plainじゃあ、レンタルしよう!

 

 

 

とはなりませんよね?

 

パジャマで撮るな。もろオフな感じ出すな!

 

多分パンツなかったらスーパーとかで買いますよね?

 

 

でも実は江戸時代はレンタルするのが普通だったんです!

 

 

パンツを…レンタル…?

 

ということで今回は江戸時代のふんどし、いわゆるパンツ事情について話します。

 

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ふんどしをレンタルできるお店「損料屋そんりょうや」!

 

江戸時代はリサイクル社会と言われるくらいに物を大切にしたり、使いまわしていました。

 

 

 

それくらいモノが貴重だったということです!

 

 

 

そんなリサイクル社会の中で、日用品の貸し出しをしていたレンタルショップがありました。

 

 

 

 

 

それが損料屋です!

 

 

 

当時の家って、大名とかお偉いさんクラスとか金持ちじゃなければ、長屋っていうめっちゃ狭い家に住むのが普通でした。

 

 

 

狭いから物なんて置けないんです!

 

 

もちろん、スペースの問題だけではなく江戸はすぐ燃えるからという理由もあるかもしれませんね。

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「物が置けないけど、使うときもある!」

 

 

損料屋はそんな需要に応えたお店だったのです。

 

 

 

そんなレンタル日用品の中にふんどし、いわゆるパンツがありました!

 

江戸時代の人たちがパンツをレンタルする理由とは?

 

現代でパンツがレンタルできたとしても、レンタルしないですよね?

 

 

だって誰かが履いたパンツですもん!

 

 

買うのだって、今ならスーパーとかユニクロとかで1000円あれば3セットくらいは買えます。

 

でも実は、、、

 

 

 

江戸時代は高価だったんです!

 

 

 

ふんどし一枚で5000円くらいしたと言われています。

 

どんな素材使ったらパンツ一枚でそんな値段になるんだ…

 

正確にはふんどしが高いのはもちろん、ふんどしの元の布も高かったんです。

 

当時は自分の手で作っていたし、何より自動でやってくれるような機械もないので大量生産もできない。

 

だから高いのです。

 

納得…!

 

 

一枚5000円もするパンツ。あなたなら買いますか?

 

 

買わないですよね。

 

僕も間違いなく買いません。

 

だからレンタルするんですが、レンタルするのももちろんお金かかります。

 

レンタルするのに1000円くらいはしたそうで、5回以上借りるなら買ったほうがマシなレベルです。

 

 

 

それでも借りていたんです!

 

 

 

江戸時代の人たちって基本的にどこで洗濯するか知ってます?

 

 

 

外にある井戸です!

 

 

 

しかも共用です。

 

昔は水も貴重だったので、一家に一台の蛇口のようなものはありません。

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井戸といえば井戸端会議という言葉があるように、昔は公共の水場に集まった女性同士で世間話をしていたんです。

 

だから井戸端会議なのか…

 

そんなところでプライドの高い侍が自分のパンツ洗えます?

 

さすがに無理鴎外だわ…

 

この井戸で洗濯したくないという心理的要因もパンツをレンタルしていた理由の1つかもしれませんね。

 

 

とは言ってもパンツを常にレンタルしていたわけではなく、ここぞという時にレンタルしていたようです。

 

それってつまり…?

 

基本は男女共にみんなノーパn…

 

え…えええええええ!?

 

合わせてトイレの歴史もどうぞ!

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おみくじを持ち帰っても意味ない時がたまにある!

どうも。主成分がおみくじの男しょう(@shos_history)です。

 

おみくじ引けるところに行ったらとりあえずおみくじを引いてます。

 

 

 

占うと言うよりはお土産感覚です。

 

 

 

 なんかいろんな場所のおみくじを引いた時の記録があるのでよかったらぜひ!

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そしておみくじは大凶とか凶とか悪いやつ以外は持ち帰ってます。

 

 

 

 

 

そんなある日の家…

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802200028j:plainん???

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802200051j:plain

一枚の何も書かれていないおみくじを発見しました。

 

よく考えていたら、確か東海道を歩いてたどり着いた京都で観光している時に引いたやつだと思い出したんです。

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確か名前は…

 

 

 

 

 

下鴨神社しもがもじんじゃ

 

 

 

 

 

と言うことで今回は下鴨神社の話をしつつ、おみくじを思い出してみようと思います。

 

 

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おみくじを引いた神社「下鴨神社」!

 

f:id:shoooy:20190802200150j:plain下鴨神社は京都府京都市の左京区にある神社です。

正式には賀茂御祖神社賀茂御祖神社かもみおやじんじゃと呼ぶようです。

 

読みづらいし、文字を打つのも面倒なので以下下鴨神社で統一します。

 

本音が湯水のように漏れてる…

 

この下鴨神社は崇神天皇すじんてんのうの時代にはあったのではないかと言われています。

 

※崇神天皇とは…

記録がたくさん残ってて実在していた可能性が高い最古の天皇。

 

ちなみにこの天皇120歳らしいんですけどね。

 

年齢おかしすぎだろwww

 

下鴨神社は京都の中で最古級の神社であり、世界遺産にも登録されています。

 

縁結びのご利益があってさらにパワースポットのようなのでぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

 

【ホームページ】

www.shimogamo-jinja.or.jp

 

【MAP】

 

下鴨神社のおみくじ「水みくじ」!

 

下鴨神社を奥に進むと、おみくじの匂いがプンプンしてきます。

 

おみくじの匂いとは…

 

 

f:id:shoooy:20190802223355j:plain


 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802223601j:plain水みくじ?

 

とても気になる名前なのでススっとお店の中へ。

 

値段は300円。

 

結果を見てみると…

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802223716j:plainまっさら!

 

 

 

清々しいほどにまっさら。

 

 

 

ちょっとどうしようの迷子になってたら

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802224555j:plainやり方が書いてありました!

 

 

①から②までの購入の手順は終わりました。

 

あとは③④です。

 

どうやら近くの川に浸したら字が浮かび上がるシステムのようです。

 

なるほど。だから水みくじなのか!

 

 

早速、おみくじをひたすために近くの川へ。

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802224726j:plainこの川は御手洗川みたらしがわと言って、土用丑の日にこの川に足を浸して流行の病を封じたりする禊イベントに使われているそうです。

 

土用丑の日に関する面白い記事があるので合わせてどうぞ! 

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土用が近づくとこんこんと水が湧き出るその様子から形取ったものがみたらし団子であり、みたらし団子発祥の地と言われています。

 

こんなところにみたらし団子の起源が…!

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802225443j:plainキャッキャッしながら浸している女性観光客を尻目に、登山家のような格好の不審者が写真を取りながら水におみくじを浸します。

 

 

持ってるのが大変なので、浮かせて放置していると…

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802225511j:plainなんか浮かび上がってきた!

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802225545j:plain末吉!

 

 

 

なんとも言えないこの微妙な結果…

 

凶ではないので持ち帰るんですが、

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802225634j:plainびしょびしょのおみくじどうやって持ち帰えればいいのか、2分くらい考えていました。

 

 

 

f:id:shoooy:20190802230514j:plainとりあえず水の力を利用して服にくっつけて天日干しする案が採用されました。

 

 

そして時は経ち現在。この記事の冒頭に戻ります。

 

 

おみくじを持ち帰っても意味ない時がたまにある!

 

 

 

f:id:shoooy:20190802200028j:plainん???

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802200051j:plain何も書かれていないおみくじ。

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190802230714j:plainそして思い出す④番…

 

 

 

 

 

おみくじは持ち帰っても意味がない時がたまにある!

 

 

 

 

 

まぁ貴重な体験と思い出として当分は残しておきます。

 

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草食動物界の将軍こと象の歴史を草食系男子が解説!

こんにちは!お久しぶりです!しょう(@shos_history)です!

 

今日のファッションは、

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上がボーダー。

 

 

 

f:id:shoooy:20190728162101j:plain

下もボーダー。

 

 

いわゆる、、、

 

 

 

 

 

f:id:shoooy:20190728162243j:plainシマウマファッションです!

 

これが噂の草食男子か…

 

戦国時代とか江戸時代なら間違いなく「かぶき者」とかボロクソに言われてますね。

 

 

 

草食界のファッション代表がシマウマだとしたら、草食界のドンはなんだと思いますか?

 

 

 

そう!

 

 

 

 

 

象です!

 

 

あの巨体はどこからどう見てもドンの風格です。親分です。

 

今や動物園に行けばほぼほぼいる象は、日本にいつからいたのか気になったので今回は草食界の親分こと象の歴史を草食系男子の僕が追っていこうと思います。

 

シマウマどこ行った?

 

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草食動物界の将軍こと象は大昔は忙しかった!

 

水遊びしたり、草を武者武者(ムシャムシャ)食べたり、ゆったり生きている印象の象ですが、大昔は狩りの対象となったり、戦争に使われたりと、とても忙しかったんです。

 

あの巨体が迫ってくるのは割と恐怖…

 

草食動物界の将軍こと象が日本にやってきた!①

 

日本にはまだまだユーラシア大陸とつながっていた時に象はいたんです。

 

それに近い時代の話も合わせてどうぞ! 

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あ、いわゆるナウマンゾウとかそういうやつです。

 

暖かくなって「暑いもう無理」とか言って絶滅しちゃったんです。(多分)

 

「もう無理。溶けるわ…」って言ってる学生かよ…

 

それから日本で生きてる象を見る機会はなくなりましたが、その日は突然やってきます。

 

1408年。時は室町時代。

 

福井県のオバマにやってきた東南アジアの船に象が乗っていたんです。

 

大統領とか乗ってそうな船…

 

どうやら亜烈進卿(アラジン)とかいう東南アジアの偉い人が足利将軍への献上品の1つとして派遣した象だったのです。

 

なんかランプ持ってそう…

 

おまけ動物に孔雀とかオウムもやってきました。

 

 

 

ところで、献上品なので京都まで運ばないといけません。

 

 

 

どうしたか?

 

 

 

 

 

歩いてもらったんですよ!

 

 

あの巨体でしかも遅いやつ歩かして大丈夫?

 

大丈夫です!福井から歩いて約一ヶ月で京都に到着しました。

 

めっちゃ遅いやん…一ヶ月前の話なんて将軍絶対忘れてるよ…

 

で、将軍は貰った象をどうすると思いますか?

 

A.仲良く水遊び

B.騎馬戦始める

 

 

どっちも可能性あるけど…A!

 

 

 

 

 

答えはCの朝鮮の王にあげちゃうでした!

 

選択肢にないんだが…

 

将軍はせっかく貰った珍しい象を二年半くらいで手放しちゃうんです。

 

飽きたのかな?

 

多分金かかるし、よく分からないからだと思う。

 

草食動物界の将軍こと象が日本にやってきた!②

 

南蛮貿易が活発だった戦国時代にもやはり象はやってきています。

 

1574年には明の船に乗った象が九州にやってきたり、1597年にはフィリピンのマニラから秀吉宛に贈られてきたり、1602年にはベトナムから徳川家康宛に贈られたりしています。

 

でもどの象もあまり記録が残っておらず、最後どうなったのか分からないのです。

 

相当興味がなかったのかもしれませんね。

 

 

そんな中、記録にも残ってて有名なのが江戸時代にやってきた象です。

 

時は1728年。目安箱とか享保の改革でおなじみの将軍徳川吉宗の時代。

 

中国の商人がオスメスセットの象を連れて長崎に上陸しました。

 

上陸したらメスが3ヶ月ほどで死んでしまいます。

 

環境の変化とか日本の気候とかが原因なのかもしれませんね。

 

オスの方は頑張って江戸に向かいます。

 

さすがに今度は船よね?

 

もちろん徒歩です!

 

長崎から江戸は鬼畜すぎる…

 

時代が時代なら動物愛護団体出てくる。

 

それを言ったらSNSあったら炎上してる…

 

なぜ徒歩かというと、江戸時代は大きな船は禁止されてたし、そもそも頑丈な船作れないので仕方がなかったんです。

 

江戸まで歩くんですが、京都にも寄ります。

さすがの象でも京都は観光しておかないといけませんからね。

 

そして京都に着いた象は天皇に会う機会が出てくるんです。

 

でも象です。天皇は日本のトップです。

 

日本のトップに会うならそれなりの位が必要です。

 

象に日本の世界の位なんて無理無理。

 

貰えるんです。象が。日本の世界の位を。しかも天皇に会えるくらいの。

 

 

それが、、、

 

 

 

 

 

広南従四位白象こうなんじゅしいはくぞう

 

 

なんか想像以上にご立派な雰囲気の位もらってるwww

 

従四位じゅしいはなかなか高い位で、江戸幕府では老中クラスです。

 

この象の位を頂点にした場合の簡単な図解がこちらです!

 

 

 

 

 

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象偉すぎワロタwww

 

この京都滞在時、珍しい象を見ようと大勢の庶民も押しかけたようです。

 

無事に江戸に到着した御象は、将軍吉宗とご対面。

 

御象…

 

やっぱ偉いからね。個人的には御つけないとと思って。

 

天皇にも将軍にも会えた象とか日本の歴史を振り返ってもただ一匹こいつだけです。

 

江戸では珍しい象を見ようと象さんフィーバーが起こったそうです。

 

12年ほど汐留にある浜離宮で飼育されていたそうですが、「飼育代が半端ない」という理由で源助という人に払い下げられます。

 

飼育代相当高かったんでしょうね。

 

それにしても幕府が手を焼いた象を引き取る源助って何者?

 

源助はその象を使って見世物をしたりして金儲けに利用していたんですが、象が引き取った翌年に病死します。

 

なんか悲しいですね。

 

中野区にある宝仙寺にその時の象の牙が残っているそうですよ。

 

草食動物界の将軍こと象の日本での歴史はすごい!

 

何回も日本にやってきていた草食動物界の将軍こと象………いゃ象さん。

 

やってきたらすぐに朝鮮に飛ばされたり、九州から江戸まで歩かされたり、日本のブラック企業ぶりを散々目の当たりにしたことでしょう。

 

そんな歴史の影の部分は一旦置いておいて、

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足利将軍や豊臣秀吉や徳川家康、徳川吉宗などそうそうたるメンバーが象を見ていたという事実が僕らの想像を掻き立てます。

 

 

 

どんな気持ちだったのか。

 

 

 

象を初めて見たときどう思ったのか。

 

 

 

そんなことを考えながら動物園に行って象を見るのも面白いかもしれませんね。

 

僕的にはよくわからんでかい動物が自分より格上になった時の殿様たちの気持ちが気になる…

 

絶対「切腹しよう…」って絶望してる…

 

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長所と短所のように歴史において光あるところに影は必ずある!

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こんにちは。影の中を生きる(家から出ない)男しょう(@shos_history)です!

 

 

 

 

 

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f:id:shoooy:20190715195738j:plainもちろんこのようにアルバイトのために光あるところへ一歩踏み出す事はしています。

 

なんだこの冬眠から出てきた動物みたいな感じは…

 

光あるところに影があるというのはよく聞くフレーズですよね。

 

太陽の光に照らされて日向になっている場所と、影ができている場所があるように良いことの裏には悪いことも隠れているというもの。

 

「光あるところに影はある」というフレーズが一番わかりやすいのは歴史です。

 

歴史上においては、悪名が轟いている人物もいれば、悪い噂が全然無いような人物もいます。

 

 

 

織田信長とか豊臣秀吉の悪い話はよく聞きますけど、徳川家康の悪い話って聞いたことあります?

 

 

 

もしかしたら家康の悪い話を僕が知らないだけで実は存在しているのかもしれませんが、それにしても聞かなすぎです。

 

 

 

逆に家康のめっちゃ良い話はよく聞きますよね?

 

 

 

歴史は勝者によって書かれるという大前提と勝者が正義である理論が存在するので、もみ消されてる可能性があるということです。

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つ・ま・り!

 

 

 

歴史においては光あるところにおいて影は必ずあるのです!

 

 

 

ということで今回は歴史において光あるところに影は必ずあるということをいくつか例にあげて証明したいと思います。

 

光と影とか中二病の代名詞みたいな題名だな…

 

時代の変わり目における光と影!

 

今の元号は令和ですね。

 

この令和という時代にたどり着くまでに

鎌倉時代やら室町時代、

戦国時代を経て江戸時代から明治時代と、

 

確かにそこには多くの時代が存在していました。

 

どの時代も、前の時代で頑張った結果生まれた時代です。

 

 

例えば江戸時代。

 

江戸時代はその前の戦国時代という戦乱の世を経て、多くの犠牲を出して生まれた平和の時代です。

 

合わせてこちらの記事もどうぞ!

平和によって人の心に何が生まれたのかを解説しています。

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織田信長や豊臣秀吉などが登場するものの、最終的には徳川家康が勝ち残り、江戸幕府を開きます。

 

まさに平和な江戸時代が光であるのに対して、多くの犠牲による平和の代償が影です。

 

明治時代も同じです。

 

欧米に負けない新しく強い国を目指した西郷隆盛や大久保利通が江戸幕府を倒して、江戸時代を終わらせて誕生させた時代が明治時代です。

 

この江戸時代から明治時代の過程でも戊辰戦争という全国規模の内戦が行われ、多くの犠牲を出しています。

 

江戸時代や明治時代だけでなく、どの時代も同じです。

 

 

多くの犠牲を乗り越えて次の時代に移っているのです!

 

 

まさに光あるところに影はあるということです。

 

歴史において光あるところに影は必ずある!

 

冒頭で「歴史は勝者によって書かれたもの」と言いました。

 

これは歴史の1つの本質です。

 

勝者によって書かれるということは都合が悪い影の部分は消されます。

 

僕らが知っている歴史、教科書に載っている歴史の裏にも別の歴史が隠れているのです。

 

 

つまり。

 

 

 

 

 

全ての歴史に何かしら影があるということです!

 

 

 

 

 

そう考えると「○○は悪いやつ!」という意見を押し付け合うのは不毛じゃありませんか?

 

ってか悪い影の歴史はどんな偉人でも持ってるので割り切るしかないです。

 

言うのは自由ですし、僕も言いますが、自分の意見を一方的に押し付けてあたかもこれが「絶対正しい」ように言うのは違うかもしれませんね。

 

だからこそ、その人物や歴史の良いところ、光を見てあげましょう。

 

まさに人の短所よりも長所の方をしっかり見てあげる。そんな感じです。

 

 

良い話しか聞かない徳川家康の歴史は誰かしらが絶対もみ消してるはずだな…

 

つまり徳川家康は絶対悪いやつ!

 

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日本人が真面目で勤勉な理由はめちゃめちゃ頑張った歴史にあり!

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アンニョンハセヨ!

韓国帰りで軽いカルチャーショックを受けたしょう(@shos_history)です。

 

つい最近、完全なプライベートで韓国旅行に行ってきたんですが、日本と決定的に違うところを見つけてカルチャーショックを受けました。

 

それは、、、

 

 

色々とゆるい!

 

 

どゆこと?

 

まず日本だと電車は時刻表があって、その時刻表にある時間通りにほぼほぼ到着しますよね?

 

でも韓国には時刻表がないので、いつ電車が来るかわからないのです!

 

時刻表があるのが当たり前だと思ってた…!

 

終電が何時かもわからないので、夜遅くなってしまった日には結構焦りました。

 

 

もう1つはコンビニとかお店の店員の様子です。

 

日本の店員は忙しくても忙しくなくても黙々と立って仕事をしています。

 

 

韓国だと店員は座ってスマホをみているんです!

 

 

レジに人が来るまでは座ってスマホをいじってました。

 

日本だと見られない光景ですよね。

 

日本だと客か店に指摘されて怒られそう…

 

韓国がゆるいだけだと思ってたんですが、副業してるバイト先の友人が以前東南アジアに留学行った時に「コンビニで店員が普通にスマホいじってた」ことに驚いたと言っていたのを思い出しました。

 

 

 

つまり外国がゆるいのではなく日本が真面目なのです!

 

 

そして日本は真面目であり勤勉

 

この外国との違いには間違いなく歴史があると思い、めちゃくちゃ調べて僕なりの考えがまとまったのでお話しします。

 

※あくまで僕個人の見解であり、考え方は多様です。その中の1つの考えだと思って聞いてください。

 

日本人が真面目で勤勉になった発端は江戸時代?

 

日本が鎖国とか言って引きこもっていた18世紀後半。

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ヨーロッパ諸国はイギリスから起こったあるイベントによってレベルアップしたのです。

 

 

それが「産・業・革・命」!

 

 

機械化によってより便利になって、すごい物がたくさん作れるようになりました。

 

日本に産業革命の波がやってくるのはそれから100年ほど後になってから。

 

そりゃあ引きこもってたら置いていかれます。

 

でも、家から出なくても遊べる新しい遊びを考え出すように、日本でも独自の革命が起きていたんです。

 

 

それが「勤・勉・革・命」!

 

 

勤勉革命は歴史人口学者の速水さんという方が提唱しました。

速水さんが言ってることがあまりにも難しいので僕の方でお粥にします。

 

江戸時代に人口が増えに増えて、江戸なんて世界一の都市にもなってましたね。

 

その頃農村では、深く耕せる道具やお金で買う肥料の登場により生産力の向上を目指していました。

 

それでももともと狭い日本。

人口は増えても土地には限りがあります。

 

言い換えると人は大量に余ってるけど土地は余ってないということ。

 

それと同時に

 

「家畜(牛馬)も餌とか色々とコストが高いのでいらなくね?」

 

「その分俺らが働けばよくね?」

 

となってきます。

 

最小の費用で最大効率を目指してたどり着いたのが…

 

 

一人当たりの労働量を増やして、土地の生産力を向上させようということ!

 

一人当たりの労働量をどう増やすか。

 

 

それこそが長時間労働なんです!

 

 

その長時間労働によって生産力は向上し、庶民の生活に余裕が生まれます。

 

もちろん江戸時代が平和だったのも余裕を生む要因になっています。

 

その余裕が文化の発展に繋がっていくというのが不思議な歴史の縁ですね。 

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だいたいこんな感じのことを速水さんは言ってますが、僕流の解釈で噛み砕きすぎて原型がほぼないのはご了承ください。

 

とりあえず、日本人の真面目で勤勉な精神が江戸の農村から始まったのは分かりました。

 

でもこれだけじゃなさそう…と最近ふと思ったので、ここから僕の考え120%で話します。

 

日本人が真面目で勤勉になったのは鎖国と明治時代!

 

真面目で勤勉な精神が江戸の農村から始まったのは分かりますが、なぜ今まで続いているのか。

 

それがずっと引っかかってました。

 

でもその引っかかりはある日のSNSで解けました。

 

「すでに成功している人に追いつくにはその人以上に努力しないといけない」

 

このフレーズは今の時代どこでも聞きますよね。

 

そりゃあ、 Bさんが家を先に出たAさんに追いつくにはAさん以上に走って追いつくしかないですよね。そんな感じです。

 

算数の問題みたいなやつだな…

 

確かに今から始める人がその道の成功者以上に努力しないといけないというのは本質かもしれません。

 

 

 

でもこれに似たことって江戸時代から明治時代にかけての間にありませんでした?

 

 

 

そう!開国から文明開化の一連の流れです!

 

実は鎖国する前の戦国時代。

 

日本は軍事力において世界最強クラスだったと言われています。

 

そんな日本は「鎖国ー!」とかいって引きこもっている間に産業革命によってレベルアップした欧米(ヨーロッパやアメリカ)と力関係が一気に逆転しています。

 

その結果、幕末のペリー来航やらで日本は強気の抵抗なんてできずに終わったんです。

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成功者の欧米に追いつくにはどうしたらいいか?

 

 

 

それがまさにめちゃめちゃ頑張ることだったのです!

 

 

だから明治時代に文明開化といって、殖産興業(機械化!的な)とか富国強兵(軍隊強くしよう!的な)とか言って近代化を進め、めちゃめちゃ頑張って欧米に追いつこうとしたんです。

 

第二次世界大戦で日本は敗北した後も、アメリカとかに追いつこうと頑張りました。

 

日本は常に先を越されており、どちらかというと追いかける側だった。

 

 

追いかけて追いつくにはめちゃめちゃ頑張るしかない!

 

 

めちゃめちゃ頑張っていた名残が今の日本人に残っているのではないでしょうか。

 

この江戸時代からの一連の歴史が真面目で勤勉な日本人を形成したのではないでしょうか。

 

僕はそう思いました。

 

 

 

みなさんはどう思いましたか?

 

 

ただ1つ言えることは、

真面目で勤勉なめちゃめちゃ頑張る日本人だったからこそ、ここまで日本が豊かで平和で暮らしやすい国になったということ。

 

それは紛れもない事実です!

 

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【検証】東海道五十三次は今と昔でどう変化したか写真と浮世絵で比較してみた!

こんにちは。

 

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現代の歌川広重こと疑わしい広重(@shos_history)です!

 

確かに見た目がすでに疑わしいな…

 

江戸時代に東海道の全宿場(町版サービスエリア的なやつ)の風景を描いた「東海道五十三次」をリリースした日本屈指の絵師"歌川広重"。

 

彼の作品「東海道五十三次」は日本中の人々から注目をあび、瞬く間に有名になりました。

 

 

「ひまわり」でも有名なオランダの画家ゴッホにも影響を与えるほどでした。

 

 

ゴッホは広重の描いた浮世絵をいくつも模写してるんですよ!

 

あの世界のゴッホをうならせる歌川広重マジ半端ない…

 

そんな歌川広重の残した大作「東海道五十三次」は江戸時代の風景を描いていますが、現在は平成、いや令和です。

 

ということで今回は、

 

 

今と昔で東海道五十三次はどのように変わっているのか!

 

 

実際に東海道五十三次を歩いて写真におさめてきたので比較検証してみようと思います!

 

 

 

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疑わしい広重による現代版東海道五十三次をご覧あれ!

 

※注意事項

できるだけ場所も角度も東海道五十三次の当時と同じように撮っています。

当時の正確な位置は調べてもほとんど出てこなかったので、出てきた少しの情報をもとに僕が浮世絵を見て推測で判断していることはご了承ください。

 

東海道五十三次の今と昔を写真と浮世絵で比較!

 

東海道五十三次の起点〜江戸日本橋〜

 

【昔】

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【今】

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日本橋は1603年に建造され、1872年の明治初期までは木造でした。

 

東海道の起点として繁栄していました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に大名行列、左側に魚を運んでる人たちと高札場(掲示板)が描かれています。

 

現在もこの写真の角度から日本橋を見ると左側に高札場跡や魚市場発祥の石碑があるので、この位置で描かれたもので間違いないと思います。

 

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東海道五十三次の宿場1〜品川宿〜

 

【昔】

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【今】

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品川宿は江戸の玄関口として賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵では左側が海、右端が御殿山、間の道を大名行列が通過している様子が描かれています。

 

浮世絵の通り、もともと品川は海が目の前にありました。

 

海は埋め立てによって当時の面影は残っていませんが、山は写真右端のように当時の面影が残っています。

 

道の角度、山の位置的にもここからの視点で描かれた浮世絵で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場2〜川崎宿〜

 

【昔】

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【今】

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川崎宿は隣の品川宿と多摩川を挟んでおり、六郷の渡しを控えていたため賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵ではちょうど六郷の渡しを行なっているところが描かれています。

 

六郷の渡しとは運賃として6文(1文=15円とすると90円)を払って船で運んでもらうことです。

 

現在は六郷橋が架けられています。

 

偶然にも江戸時代と同じように船が川に出ている瞬間を捉えることができました。

 

船からも時代の変わりようがわかりますね。

 

川となると正確な位置は断定できないですが、おそらくこの写真の位置じゃないかと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場3〜神奈川宿〜

 

【昔】

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【今】

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神奈川宿は幕末の開国によって宿内の寺が各国の公使館や領事館になっていたため、グローバルなところでした。

 

東海道五十三次の浮世絵には左側が海で、海の横に建物が並んでいる様子が描かれています。

 

浮世絵に描かれている「さくらや」というお店が田中屋となって今も同じ場所で営業しています。

 

江戸時代に描かれた場所は今は静かな住宅街になっており、海は見えません。

 

田中屋の位置、道の角度的にこの場所ではないかと思われます。

 

東海道五十三次の宿場4〜保土ヶ谷宿〜

 

【昔】

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【今】

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保土ヶ谷宿はまぁまぁ賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には右手前に帷子橋かたびらばし、その奥に保土ヶ谷の町並みが描かれています。

 

帷子橋と川が描かれていたこの場所は現在は天王寺駅前公園となっており、橋の方は簡易的に復元されています。

 

写真を撮る角度はなぜか盛大に間違えましたが、橋の場所的にも位置はここで間違いないかと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場5〜戸塚宿〜

 

【昔】

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【今】

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戸塚宿は日本橋から42kmほどの地点で、ちょうど一泊目の宿泊地に最適な場所だったため大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には右端に大橋(今の吉田大橋)、左端にはこめやという茶屋、橋の奥に戸塚宿の町並みが描かれています。

 

十といの組み合わせのような文字は「古」がくずれた字です。

 

古めやでこめやと読み、名前の通り昔はお米屋さんだったようで、途中から茶屋を始めました。

 

現在はこめやは残っていませんが、大橋が残っていたり、道の角度も浮世絵と同じ感じなのでここで間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場6〜藤沢宿〜

 

【昔】

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【今】

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藤沢宿は江ノ島神社のある江ノ島に通じる道があるため大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には奥に遊行寺ゆうぎょうじ、中央に大鋸橋だいぎりばし(今の写真中央の遊行寺橋)、手前に江ノ島神社の一の鳥居と江ノ島へ向かおうとしている人が描かれています。

 

現在はこの場所に一の鳥居は無いですが、遊行寺や橋は今も変わらずあります。

 

浮世絵と同じ橋があるこの場所で間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場7〜平塚宿〜

 

【昔】

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【今】

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平塚宿は普通の宿場レベルの賑わいだったと思われます。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に丸い山が特徴の高麗山、その隣が富士山と大山、奥には花水橋が描かれています。

 

高麗山は現在も同じ姿で存在していますが、大山は建物が多いためか全く見えません。

 

花水橋も同様の理由で見えません。

 

道の角度、高麗山の位置などから、この場所でほぼ間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場8〜大磯宿〜

 

【昔】

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【今】

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大磯宿も普通の宿場レベルに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に大磯の宿と江戸方見附(江戸方面から宿場に入る玄関)、雨のなか松並木を歩く人たちが描かれています。

 

現在は江戸方見附はありませんが、「ここら辺にあったよ!」という標識(写真中央)や当時をしのばせる松並木がありました。

 

写真の右端の木はもしかしたら浮世絵の右端の木と同じかもしれませんね。

 

角度的にもこの場所で間違いないと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場9〜小田原宿〜

 

【昔】

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【今】

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小田原宿は小田原城の城下町として発展し、東海道最大の難所箱根を控えていたため、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央手前には酒匂川と川越人足(人や物を担いで川を渡る人)、写真右奥には難所箱根山が描かれています。

 

橋がかかった影響で浮世絵のように箱根山の左端を見ることはできませんが現在も酒匂川・箱根山共に同じ姿で存在しています。

 

箱根山が望めるこの辺りで間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場10〜箱根宿〜

 

【昔】

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【今】

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箱根宿は箱根山の中に宿場がないのは不便ということで新設され、まぁまぁの賑わいだったと思われます。

 

東海道五十三次の浮世絵にはカラフルな箱根山と芦ノ湖が描かれています。

 

現在も箱根山・芦ノ湖共に同じ形で存在しています。

 

天気の影響で浮世絵と同じ場所はつかめませんでした。

 

次回ここはリベンジして更新します。

 

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東海道五十三次の宿場11〜三島宿〜

 

【昔】

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【今】

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三島宿は小田原宿と同様に東海道最大の難所の箱根山を控えており、さらに三嶋大社の門前町(寺周辺で発達した町)としても発展し、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央には馬や駕籠かごに乗って箱根に向かおうとする旅人?、右には三嶋大社の鳥居が描かれています。

 

現代の乗り物は馬でも駕籠でもなく車ですが、三嶋大社の鳥居は変わらず存在しています。

 

浮世絵に描かれた鳥居の位置と角度的に、この場所で間違いないかと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場12〜沼津宿〜

 

【昔】

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【今】

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沼津宿は江戸への物の輸送など港町としての機能を有しており、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に狩野川と沼津宿に向かう人、右奥に沼津宿の町並みが描かれています。

 

現在は浮世絵のような木々ではなく、代わりに建物が茂っています。

 

浮世絵と同じ方向に宿場の跡がたくさんあり、しかも川の曲がり角度は当時をしのばせていることから、この辺りで間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場13〜原宿〜

 

【昔】

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【今】

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原宿は富士山が綺麗に見える場所として人気スポットでした。

 

東海道五十三次の浮世絵には富士山と愛鷹山を背景に旅人のような人たちが描かれています。

 

現在も浮世絵のように富士山と愛鷹山が重なる場所はありましたが、浮世絵ほど富士山が近くはありません。

 

おそらく歌川広重によって誇張されています。

 

富士山と愛鷹山の重なり具合的にこの辺りで間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場14〜吉原宿〜

 

【昔】

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【今】

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吉原宿は東海道で数少ない左富士(左側に富士山)が見える人気スポットでした。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に馬に乗って富士を眺める人、左に夕焼けの富士山、右に愛鷹山あしたかやま?が描かれています。

 

現在は、浮世絵にも描かれている松並木の一部が写真の通り現存していましたが、左富士は建物の影響で全く見えませんでした。

 

松並木がここにしか現存していないので特定しづらいですが、大体この辺りではないかと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場15〜蒲原かんばら宿〜

 

【昔】

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【今】

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蒲原宿は吉原方面に富士川を控えており、川止め(洪水やらで渡れない時)の時に大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には蒲原宿の町並み、右側には旅籠「和泉屋」?っぽい建物が描かれています。

 

現在は和泉屋(写真中央の古い建物)が休憩スペースとして残っています。

 

浮世絵と同じように奥に山が見え、和泉屋が右にあるこの場所で間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場16〜由比宿〜

 

【昔】

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【今】

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由比宿は普通の宿場レベルで賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には左端に難所薩埵峠さったとうげ、薩埵峠の横に富士山、右に駿河湾が描かれています。

 

現在も薩埵峠から浮世絵と同じ景色を眺めることができます。(今回は富士山は見えませんでした)

 

浮世絵と全く同じ景色なのでこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場17〜興津おきつ宿〜

 

【昔】

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【今】

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興津宿は興津川の渡し(興津川を川越専用の人に担いでもらう)や難所薩埵峠を控えているため、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には左端に薩埵峠、奥に駿河湾、手前に興津川と川越専用の人(川越人足)が描かれています。

 

現在も薩埵峠を左に置いて、興津川を手前にした場所があり当時の面影がありますが、駿河湾は橋によって全く見えなくなっています。

 

薩埵峠と興津川の位置的にこの場所で間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場18〜江尻宿〜

 

【昔】

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【今】

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江尻宿は天然の良港の清水港があり、そこから物資の盛んにおこなれており、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には手前に清水港と船、中央右に三保の松原、左奥に愛鷹山とかの山々が描かれています。

 

現在も三保の松原も遠くの山々も変わらない姿でしたが、撮る場所も間違えたため、三保の松原が小さく、清水港を写真に入れることさえできませんでした。

 

浮世絵視点の場所はおそらくもう少し高いところ、久能山とかそこら辺の高い位置からのものだと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場19〜府中宿〜

 

【昔】

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【今】

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府中宿は徳川家康が将軍を辞めた後に大御所として政治を行った場所であったため大いに賑わいました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央奥に賤機山、手前に安倍川と川越の様子が描かれています。

 

 

府中宿の浮世絵なのでこの絵の先が府中宿のはずなので、同じ向きで写真を撮ると

 

 

浮世絵にある山がありません!

 

 

しかし、府中宿とは逆の向き(次の丸子宿の方)から写真を撮ると浮世絵に似た山がありました。

 

歌川広重はその場で絵を描かず、記憶を頼りに描いているのかもしれません。

 

とにもかくにも、浮世絵にある安倍川も山も同じ位置にあることから、この場所であることは間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場20〜丸子宿〜

 

【昔】

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【今】

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丸子宿は安倍川を控えていたため、川止めの時には大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵にはとろろ汁で有名な丁子屋ちょうじやと、休憩している旅人が描かれています。

 

 

現在も丁子屋は現役で営業しており、場所も当時のままでした!

 

 

店の後ろの山も同じですね。

 

これは誰が見てもこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場21〜岡部宿〜

 

【昔】

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【今】

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岡部宿は難所宇津ノ谷峠を控えていたため賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には山の間にあるつたの細道を歩く人たちが描かれています。

 

現在も写真の通り蔦の細道があります。

 

場所は情報が全くなかったため判断ができず、とりあえず浮世絵と雰囲気が似ているところを撮影しました。

 

多分浮世絵の場所はここではないです。

 

東海道五十三次の宿場22〜藤枝宿〜

 

【昔】

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【今】

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藤枝宿は田中城(この城の主は江戸幕府の要職につけたほどの出世城)の城下町として発展し、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には問屋場(役所的なところ)で人足(運んでくれる人たち)と馬が新しい人足と馬に引き継がれている様子が描かれています。

 

現在、問屋場の跡は交番の敷地になっており、当時の面影は全く感じられません。

 

問屋場が昔あったことを伝える標識があったため、この場所で間違いないと思います。

 

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東海道五十三次の宿場23〜島田宿〜

 

【昔】

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【今】

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島田宿は東海道の難所の1つ「大井川」を控えており、増水による川越禁止の際は江戸並みに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には大井川の川越が描かれています。

 

現在も大井川は健在ですが、橋を渡って越えることが可能です。

 

写真を撮った場所が浮世絵よりもだいぶ遠いです。

 

この河岸沿いで描かれたのは間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場24〜島田宿〜

 

【昔】

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【今】

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金谷宿は島田宿と同様に大井川を控えているため、増水による川越禁止の際に大いに賑わいました。

 

東海道五十三次の浮世絵には島田宿の浮世絵と同じ大井川の川越、さらに山の中腹に金谷宿の町並みが描かれています。

 

現在も大井川は健在で、写真の奥に金谷宿の町並みが見えます。

 

写真を撮った場所が浮世絵よりも左寄りですが、この河岸沿いで描かれたのは間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場25〜日坂宿〜

 

【昔】

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【今】

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日坂宿は小さい宿場であったものの、東海道の三代難所の1つ「小夜の中山」を控えているため、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には小夜の中山を登る旅人や駕籠かき(駕籠を担ぐ人)、中央には夜泣き石が描かれています。

 

現在も難所という言葉が似合うほど急な道です。

 

夜泣き石はここにあったことを伝える石碑はありましたが、別の場所に移されて今は浮世絵の場所にはありません。

 

浮世絵は木があまりない寂しい雰囲気ですが、今は木が生い茂っており、遠くの風景は全く見えません。

 

夜泣き石の石碑があり、浮世絵のような坂があるこの場所で間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場26〜掛川宿〜

 

【昔】

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【今】

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掛川宿は掛川城の城下町として発展し、さらに秋葉山(火除けの神を祀っていて江戸時代には大人気スポット)へ参詣する人で賑わいました。

 

東海道五十三次の浮世絵には大池橋を渡る人々、右奥には秋葉山が描かれています。

 

現在も現代版の大池橋が残っています。

 

浮世絵には秋葉山がでかでかと描かれていますが、実際は大池橋からかなり遠いので全然見えません。

 

秋葉山は見えませんが、大池橋の位置が同じなのでこの場所で間違いないです。

 

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東海道五十三次の宿場27〜袋井宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190528031014j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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袋井宿は周りに参詣スポットで人気の山があったため、その参詣人たちで賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には遠くには袋井宿、手前には傍示杭(土地の境界に置かれた杭)と茶屋と人々が描かれています。

 

現在も同じ場所に傍示杭が復元されています。

 

写真的だけ見ると道の角度的にも浮世絵と同じ雰囲気ですが、浮世絵は右側に袋井宿があるのに対して、写真では右側に袋井宿があります。

 

上記の理由で写真の視点に関しては怪しいラインですが、場所としてはこの辺りで間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場28〜見付宿〜

 

【昔】

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【今】

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見付宿は天竜川を控えていたため、増水による川止めの際は賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には天竜川の船渡しの様子が描かれています。

 

現在も天竜川は健在ですが、写真を撮った場所が遠いため天竜川が微妙に見えません。

 

とにもかくにも天竜川があるこの辺りで間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場29〜浜松宿〜

 

【昔】

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【今】

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浜松宿は浜松城の城下町として賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には手前に松の木の下で焚き木をしている人たち、右真ん中にはたくさんの松と共に立つ立札(掲示板)、右奥には浜松城が描かれています。

 

現在は浜松のいたるところに松の木が数本単位で残っていますが、当時のようにたくさん残っていないです。

 

立札に似たもので高札が写真真ん中の谷島屋に跡としては確認できます。

 

写真の視点が正しいとしても右奥には浮世絵のように浜松城が見えるはずですが、現在は建物が立っているため見ることはできません。

 

場所は正直怪しいです。

 

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東海道五十三次の宿場30〜舞坂宿〜

 

【昔】

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【今】

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舞坂宿は今切の渡し(隣の新居との間を船で渡ること)を控えているため、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には左手前に防波堤のような杭、浜名湖に浮かぶ船、遠くの山々の先に富士山が描かれています。

 

今も浜名湖があり、いくつも船が浮かんでいます。

 

ただどうやっても富士山は見えませんでした。

 

東海道上だと富士山は見付宿から見えるようなのでこの絵はありえない景色になのかもしれません。(つまりよくわかりません)

 

浜名湖があり、その浜名湖に面している旧東海道がここなので、おそらくこの辺りだと思います。

 

東海道五十三次の宿場31〜新居宿〜

 

【昔】

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【今】

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新居宿は新居関所が舞坂との間に今切の渡しがあったため、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には右奥に新居宿の町並み、手前に今切の渡しの風景が描かれています。

 

現在も写真の通り、新居宿が見えつつ、海に面している場所はありますが、情報が全然ないので浮世絵の場所が特定できませんでした。

 

浮世絵に描かれた新居宿の方向だけで推測すると、この辺りで間違いないと思われます。(写真は少し遠い場所になってます)

 

東海道五十三次の宿場32〜白須賀宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190529174315j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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白須賀宿は普通の宿場レベルの賑わいでした。

 

東海道五十三次の浮世絵には山の谷間から一望できる遠州灘(静岡と愛知に面してる太平洋上の海のこと)や漁村、手前に大名行列が描かれています。

 

現在も潮見坂公園跡で浮世絵と同じ構図の風景を見ることができます。

 

浮世絵の方がやや左寄りな気がしますが、浮世絵と同じ左寄りで撮れる場所がなかったので仕方なしです。

 

誰が見てもこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場33〜二川宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190529175452j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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二川宿は小さめの宿場でした。

 

東海道五十三次の浮世絵には山とそれを登ってる人、右手前には柏餅が有名な茶屋が描かれています。

 

現在は浮世絵に描かれている茶屋がなく、場所を特定できる情報が全くありません。

 

今度リベンジして写真を更新しておきます!

 

東海道五十三次の宿場34〜吉田宿〜

 

【昔】

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【今】

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吉田宿は吉田城の城下町として発展し、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には修理してる最中の吉田城と豊川にかかる吉田大橋が描かれています。

 

現在も豊川とそこに架かる吉田大橋は残っていますが、吉田城は浮世絵でちょうど修理されている櫓?だけ現存しています。

 

浮世絵のような角度で写真を撮る場合は空中浮遊しないと無理です。

 

吉田城があったこの場所で間違いないと思います。

 

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東海道五十三次の宿場35〜御油ごゆ宿〜

 

【昔】

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【今】

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御油宿は姫街道(見付宿と御油宿を結ぶ東海道とは別の裏ルート)を控えていたため、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には御油宿の町並みとともに、(現代でいう)キャッチの女性につかまる旅人が描かれています。

 

現在の御油宿は昔の建物がほとんど残っていませんが、残っているものもあり、当時の面影が見えました。

 

浮世絵の場所は全くわかりませんが、道の雰囲気的にこの辺りだと思われます。

 

東海道五十三次の宿場36〜赤坂宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190529193417j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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赤坂宿は御油宿と2kmくらいしか離れていない宿場でした。

 

東海道五十三次の浮世絵には旅籠(庶民の旅館)の大橋屋の中の様子が描かれています。

 

現在も大橋屋の建物が残っています。2015年までは営業していたそうです。

 

浮世絵は建物内を描いてますが色んな意味で物理的に不可能なので、写真に収めることはできませんでした。

 

場所はモデルとなった大橋屋があるので間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場37〜藤川宿〜

 

【昔】

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【今】

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藤川宿は普通の宿場レベルで賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には棒鼻(ここから先は○○宿と知らせる杭)や何かの行列、行列を迎えに出た人が描かれています。

 

現在も棒鼻は復元され、当時の姿で存在していました。

 

木の雰囲気、棒鼻の存在から誰が見てもこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場38〜岡崎宿〜

 

【昔】

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【今】

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岡崎宿は岡崎城の城下町として発展し、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には矢作川に架かる矢作橋を渡る大名行列、右奥に岡崎城が描かれています。

 

現在も浮世絵に描かれている矢作川、矢作橋、岡崎城はしっかり現存しています。

 

今は橋を通っている行列が大名行列ではなく車の行列でした。

 

浮世絵の構図がほぼそのままのこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場39〜知立宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190530023001j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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知立宿は馬市や木綿市などが開かれていた市場ポジションであり、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には馬市のための馬、奥には競りをしている人々が描かれています。

 

現在は馬市も木綿市も開かれていませんが、馬を繋いでいた松並木はしっかりと残っており、当時の面影が感じられます。

 

馬を繋いでいた場所であるこの辺りで間違いないと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場40〜鳴海宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190530024110j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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鳴海宿は鳴海絞り・有松絞りという染物の産地として賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には染物屋と買い物に来たっぽい女性や旅人が描かれています。

 

現在も浮世絵と同じ雰囲気の道と古い建物、そして何より有松・鳴海絞りは伝統工芸品として今も残っています。

 

浮世絵だけではどこの染物屋かわかりませんが、この辺りであることは間違いないと思います。

 

東海道五十三次の宿場41〜宮宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190530030651j:plain出典:Wikpedia

 

【今】

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宮宿は熱田神宮の門前町(寺社周辺の町)として発展し、七里の渡し(宮宿と隣の桑名宿の船渡し)を控えており、東海道最大の宿場町として大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には駈馬という神社の行事に参加する人々と馬、手前には熱田神宮の鳥居が描かれています。

 

現在も浮世絵と同じ熱田神宮の鳥居はありますが、赤色ではありませんでした。

 

この赤い鳥居も歌川広重の誇張です!(神主さんにも確認済み)

 

浮世絵のように鳥居の上の部分を写真に収めることは物理的に不可能でした。

 

とは言っても、浮世絵に描かれた鳥居があるこの場所は間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場42〜桑名宿〜

 

【昔】

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【今】

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桑名宿は七里の渡し(桑名宿と隣の宮宿の船渡し)を控えている港町として、また、伊勢参りの玄関口として賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には桑名城と船による桑名宿側の七里の渡しの様子が描かれています。

 

現在は桑名城の櫓が復元されて今も存在しています。

 

浮世絵の構図に近いこの辺りで間違いないと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場43〜四日市宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190530160646j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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四日市宿は十里の渡し(宮宿と四日市宿の船渡し)を控えており、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には風で転がっていく笠を追いかける人、三滝川に架かる板の橋を強風の中を進む旅人が描かれています。

 

現在も三滝川は流れており、板の橋ではないですが三滝橋がかけられていて当時の面影がしっかり残っています。

 

三滝川も橋もあり浮世絵と構図も一緒なのでこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場44〜石薬師いしやくし宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190530161641j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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石薬師宿は石薬師寺の門前町(寺社周辺の町)として発展していましたが、あまり賑わってはいなかったようです。

 

東海道五十三次の浮世絵には木々の間に見える石薬師寺の正門、寺の前の道を歩く人々、奥には山々が描かれています。

 

現在も石薬師寺は同じ場所に存在しています。

 

浮世絵の視点は写真を撮った位置よりもう少し後ろですが、石薬師寺があるこの場所であることは間違いないです。

 

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東海道五十三次の宿場45〜庄野宿〜

 

【昔】

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【今】

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庄野宿は石薬師宿と同様にあまり賑わっていなかったようです。

 

東海道五十三次の浮世絵には大雨と強風の中を進む人々が描かれています。

 

浮世絵のような断崖の場所は旧東海道を歩いていても見当たらなく、浮世絵に最低1つはあった場所を特定できるものもないため全く分かりませんでした。

 

庄野宿の資料館に行った時に、そこのお母さんから「もしかしたら加佐登駅(この駅名はあやふやな記憶です)の近くかも」とヒントをいただいたので今度リベンジしてみます。

 

東海道五十三次の宿場46〜亀山宿〜

 

【昔】

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【今】

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亀山宿は亀山城の城下町でしたが石薬師宿や庄野宿と同様にあまり賑わっていなかったようです。

 

東海道五十三次の浮世絵には雪景色の亀山宿、雪道を登る大名行列、亀山城の京口門(亀山城にある京都方面の門)が描かれています。

 

現在は亀山城は櫓が残っているのみで、浮世絵に描かれている京口門はありません。

 

写真右にある掲示板のあたりが京口門があった場所であるため、角度的にこの辺りで間違いないと思われます。

 

東海道五十三次の宿場47〜関宿〜

 

【昔】

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【今】

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関宿は東海道の三代難所にして最後の難所"鈴鹿峠"を控えていたため、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には川北本陣(大名などの偉い人専用の宿)で出発の準備をする人々が描かれています。

 

現在も関宿では当時の古い町並みが多く残されていますが、本陣などは現存していません。

 

写真の場所が川北本陣があった場所なので、浮世絵の視点はここからで間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場48〜坂下宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190531025633j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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坂下宿は関宿と同様に鈴鹿峠を控えており、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には筆捨山と茶屋で休憩する人々が描かれています。

 

現在は写真の通り、筆捨山は変わりませんが、浮世絵に描かれた茶屋はありません。

 

しかし、断崖と筆捨山という浮世絵と同じ構図から当時の面影が見えます。

 

写真と浮世絵を見比べても一目瞭然でここで間違いないです。

 

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東海道五十三次の宿場49〜土山宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190531030535j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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土山宿は京側から進むと難所鈴鹿峠を控えている宿場であったため、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には手前に田村川に架かる田村橋を大雨の中渡る大名行列、左奥に田村神社が描かれています。

 

現在も写真の通り田村橋(今は海道橋という名前)も田村川もあり、木々の奥には田村神社があります。

 

橋、川、神社の位置が浮世絵と同じなのでこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場50〜水口宿〜

 

【昔】

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【今】

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水口宿は水口城の城下町として発展し、賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵にはひょうたんを作る様子が描かれています。

 

現在も歩いているときにひょうたんを干している場所を見かけましたが、浮世絵の場所は特定できるものがないため分かりません。

 

浮世絵の奥に水口宿が描かれているので、宿場の出口付近と仮定すると写真のあたりになります。

 

水口宿も今度リベンジしてきます。

 

東海道五十三次の宿場51〜石部宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190531171934j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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石部宿は京都出発の人からすると最初の一泊目にあたる場所で「京立ち石部泊り」と言われ、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には豆腐田楽が食べられる「伊勢屋」、店の前で踊ってる人が描かれています。

 

現在は「伊勢屋」はなく写真の通り住宅街になってますが、ここに残っていた証拠である石碑(写真中央の住宅の右)がしっかり残っています。

 

伊勢屋というお店はこの写真の隣にもあり、二店舗あったようで、どちらが浮世絵に描かれている伊勢屋か特定できませんでした。

 

ただし、田楽発祥の伊勢屋(写真中央の住宅地にあった)の可能性の方が高そうで、この辺りで間違いはないと思われます。

 

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東海道五十三次の宿場52〜草津宿〜

 

【昔】

f:id:shoooy:20190531180030j:plain出典:Wikipedia

 

【今】

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草津宿は五街道のひとつ"中山道"の合流地点であり、琵琶湖もあったため交通の要衝として発展し、大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央上に名物姥ヶ餅うばがもちを売る茶屋と休憩する人々、手前に急ぎめで駕籠を担ぐ人が描かれています。

 

現在は姥ヶ餅ではなくひょうたんを販売するお店になっていますが、写真のお店の右脇に道標(ここから○○です!って伝えるやつ)がありました。

 

この道標こそ、浮世絵のお店の右脇に描かれている道標です。

 

茶屋の場所が明確で、浮世絵と同じ道標もあることから、誰が見てもこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場53〜大津宿〜

 

【昔】

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【今】

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大津宿は琵琶湖の南にあるため、舟による交通や輸送が行われており、東海道最大の宿場として大いに賑わっていました。

 

東海道五十三次の浮世絵には手前に牛車で物資を運搬する人々、左端に清水が湧き出る走井井戸、走井井戸の水を使った走井餅が名物の走井茶屋が描かれています。

 

現在は茶屋の姿は見えませんが、写真の月心寺が走井茶屋の跡に建てられており、中に走井井戸が現存しています。

 

浮世絵と同じ走井井戸があるこの場所で間違いないです。

 

東海道五十三次の宿場終点〜京三条大橋〜

 

【昔】

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【今】

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京の三条大橋は東海道の江戸方面から来た場合の終点にあたります。

 

1590年に豊臣秀吉によって石柱の橋に改修され現在に至ります。

 

東海道五十三次の浮世絵には中央に賀茂川に架かる三条大橋、奥に今日の山々が描かれています。

 

現在も賀茂川および三条大橋は当時とほとんど変わらず存在していますが、浮世絵にもある山々は建物で隠れていて全く見えません。

 

三条大橋と賀茂川が浮世絵と同じ構図なので誰が見てもこの場所で間違いないと思います。

 

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東海道五十三次の今と昔を写真と浮世絵で比較してわかったこと!

 

東海道五十三次の浮世絵55枚分(53の宿場+スタートの日本橋とゴールの三条大橋)を写真バージョンと比較して紹介しました。

 

奇跡的にも当時と変わらないものもあれば、全然面影すらないところもありました。

 

1つ言えるのは、

確かにそこには江戸時代があったということです!

 

よく散策して歩いてみればきっと何かしら江戸時代の痕跡が見つかりますよ。

 

 

また、

水のあるところは栄える!

 

ということにも改めて気づきました。

 

人類文明の歴史の始まりとも言える四代文明。

 

メソポタミア文明。

 

エジプト文明。

 

インダス文明。

 

黄河文明。

 

メソポタミア文明はチグリス川・ユーフラテス川から。

 

エジプト文明はナイル川から。

 

インダス文明はインダス川から。

 

黄河文明は黄河からから。

 

どの文明も川、つまり水のあるところから文明が起こっているのです。

 

 

 

水があるところは人が集まり栄えるのです!

 

 

 

何千年も変わらないこの事実は本質なのかもしれませんね。

 

最後に一言。

 

最高でした!

 

【少しでも参考にしたもの】

・五街道ウォーク・八木牧夫著『ちゃんと歩ける東海道五十三次 東』山と渓谷社

・五街道ウォーク・八木牧夫著『ちゃんと歩ける東海道五十三次 西』山と渓谷社

・浮世絵のアダチ版画 ホームページ

 

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